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2007.11.29 Thursday

障害の理解促進ー本人への説明を考えるー

 表題のLD学会2日目のシンポ報告を書こうと思っていたのですが、時間がとれず、ついでに風邪?も引いてしまったようで今になってしまいました。話題提供は山下裕史郎先生、相川恵子先生、丹藤登紀子先生、指定討論は宮本信也先生、司会は柘植雅義先生でした。丹藤先生は我が子の障害理解、相川先生は教師の他の児童生徒への障害の伝え方、山下先生は医師としての障害告知や障害理解ということを中心に発表されました。

以下私の大会プログラム切れ端メモより

 
全体的な感想としては、「障害理解」という概念と「告知」という概念を整理する必要があるように感じました。フロアからの議論もこのあたりの誤解もあったように思いました。
 「告知」の方法や「障害に対する説明」の方法について話題は集中しがちですが、この点については個々の状態に合わせた十分な配慮が必要なのはいうまでもないことでしょう。

 しかし、本人視点から考えるとそれらの「説明の方法」だけではなく、その後に本人が支援を受け入れられたり、自己理解して行動コントロールができる周囲の環境をいかに用意するかということがより大事なのだと思います。したがって「告知」や「障害理解」も本人の問題だけではなく、周囲の環境の問題こそ大きいということを考えておく必要があるように思います。

 受容にはゴールがあるわけではなく、「ここから先が受容の成立」という明確な境界があるわけでもありません。自分と他者の違いを知る、自分の特性を知る、特性に応じた自己コントロールを身につけるというプロセスの成立に対して「障害理解や告知」というものが利益をもたらす場合もあれば、必要のない場合もあるでしょう。

 周囲の理解というものも、学校教育の場合、いわゆる「障害特性を理解するような障害理解教育」から入るのではなく、「ちょっと困っている友だちがいたら、お互いに手をかしあえるようにしよう」という、いわば「お互い支援教育」から入るのが良いのではないでしょうか。これは「いじめ」に対しても有効であると思います。


 

井上雅彦 | 実践研究 | 23:50 | comments(2) | trackbacks(0)

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コメント

井上先生

いつも貴重な示唆、ありがとうございます。「お互い支援教育」、本当にいい言葉ですね。まったく同感です。「特別支援教育」が「特別」なことになってしまうと本来の意図からズレてしまうように思うのですが、実際にはそのようなズレた理解が大多数なこともあり、本当に難しいなと思います。

ムカイ | 2007/12/01 12:53 AM

 ムカイさま

 ホンマですねぇ。「そんなこと文科省はいってますか?」といわれることもありますが、「文科省の常に2、3歩先を歩いてるぞ!」というのが現場の誇りであると思うわけです。

井上雅彦 | 2007/12/01 3:46 AM

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